2014年10月9日木曜日

至上の愛(アメージング・グレイス) Amazing Grace



至上の愛(アメージング・グレイス)  
Amazing Grace

この録音がレコードとなって世に出た時、
エルヴィス・プレスリーは子供ような笑顔で微笑んだろう。

ボクたちは、それに対して「ありがとう」としか言えないけれど、何度も言うことはできる。

少なくとも聴くたびには言える。

Amazing grace, oh, how sweet the sound
That saved a wretch like me
l once was lost but now l'm found
Was biind but now i see

When we've been there ten thousand years
Bright, shining as the sun
We've no less days to slng God's praise
Than when, when we'd first begun

(Through many dangers, toils and snares
l have already come
'Tis grace that brought me safe thus far
And grace will lead me home)

Amazing grace, oh, how sweet the sound
To saved a wretch like me
l once was lost but now l'm found
Was blind but now I see


多くの白人、黒人を問わずに愛唱されているスピリチュアルソング<アメイジング・グレイス>。

18世紀、英国の奴隷船、船長だったジョン・ニュートンが奴隷貿易の仕事を辞めた後、牧師になってから書いた詩。メロディは英国の「愛する小羊」を原曲とするアメリカ民謡をルーツとしている。

スピリチュアルソング、スピリチュアルとは「霊的な歌」という意味で、いわゆる賛美歌ではない。
ゴスペルでもない。
しかもスピリチュアルには白人のものも黒人のものもある。

<アメイジング・グレイス>はその意味では詩もメロディも白人音楽になる。

しかしこれらの歌が混然歌われるために、その専門家でない限り、その音楽的な境界が分からないのが普通ではないだろうか。

(愛ピとしてはエルヴィスの歌はエルヴィスの霊的な歌であるから、全部スピリチュアルになる、というほどの無分別だが。)

バラードは詩にそのきらめきを持ち、テンポの早い音楽は、リズムにきらめきを持つのがアメリカ音楽の基本である。

その意味でロックンロールはリズムにきらめきを持つ音楽であり、かつ表現者の表現に依存する部分が極端に強い音楽である。

つまり歌詞が同じでも表現者によって意味が変わってしまうほど、表現に依存している。
と、いうことは同じ表現は二度とできないのが常と考えるのが妥当とするなら、極めて即興的な音楽であることを意味する。



その典型がジャズである。「ブルー・ノート」は至宝といえる作品を多く送りだしたジャズの名門レーベル。

その本来は旋法、唱法のスタイルで、そのブルーな音色は哀愁に満ち、やはりアフリカン・アメリカン・スピリチュアルのスタイルの特長である。

それをジャズ・レコードのレーベルの名前にしてしまったわけだ。


スピリチュアル、あるいはブルース、そしてロックンロールに共通しているのは、言葉(詩)が表現によって、詩以上の表現を変幻自在に可能にしているということである。

そしてスピリチュアルを決定づけるのは「コール&レスポンス」と言われるスタイルの歌い方だ。


これはスピリチュアルが”私(I)”で表現されることと関連していて、黒人の音楽が”コミュニティ”の機能を持っていることを暗示している。

つまりソロで歌う者が”私(I)”とコールし、コーラスがレスポンスすることで、”私(I)”は”私たち”に変わっているのだ。ソロが歌う「私の気持ち」は、「あなただけではない私も同じ」と言っているようなもので、しかもそれが神に向かって歌われたりするのだから、痛みは勇気に変わって行く。

これこそがスピリチュアルの魔法である。
楽しくて歌うのではない、悲しくてやりきれなくて、地獄の蓋が開いてそうに見える時に歌うのだ。



個人的な悲しみが、解決されることはないが、みんなの悲しみとして共有することで、それを喜びとするしかないほど悲しい状態で生まれたスピリチュアルの魔法なのだ。


18世紀、特に南部では、白人がキリスト教を黒人に布教した。

もちろん奴隷を従順にさせ、意欲的に作業に従事させるためである。

現世では辛いことが多いかも知れないが、奴隷主の言うことを聞いて、尽くせば、必ず来世では自由になり、恵まれた人生が送れるというものである。


さらに作業に従事する時は、奴隷たちはそこにいることを証明する意味で声を出すこと、
いわゆる合いの手を要求された。

これが「コール&レスポンス」の基礎である。


また、アカベラもそうである。
太鼓(ドラム)がそのリズムによって、奴隷間のメッセージになることを恐れた奴隷主たちが使用を禁じたために、アカベラが基礎になった。


そして楽器を使用できない彼らがリズムをとるために自らの身体を動かすことで身体を楽器にしたのである。
エルヴィス・ロカビリーの原点となる要素が揃っているのが分かる。


奴隷として遥か遠い国から北米に「動産」として連れてこられて、教育も結婚も禁止され、わが子でさえ、奪われ、奴隷業者に売られ、二度と会うこともないままに「奴隷用」として成長させられる。

「生まれつきの知恵とイエス様だけを頼りにするしかなかった」人々の音楽である。

アメイジング・グレイス(驚くべき神の恩寵)
おお何と甘美な言葉でしょう
あなたの恵みによって惨めな罪人であった私は救われました
迷える羊であった私が見いだされ
見えなかった目が見えるようになったのです

天国に一万年を暮らしたとしても
光り輝いて、太陽のように、永遠に
初めて、主を讃え歌った日と同じように
あなたを賛美しつづけます

多くの危険と苦難や誘惑を通り抜けて
ここまで辿りつきましたあなたの恵みによって
私はここまで安全に来られたのです
そしてあなたの恵みによって
私は故郷(天国)に導かれることでしょう

驚くべき神の恩寵
おお何と甘美な言葉でしょう
あなたの恵みによって惨めな罪人であった私は救われました
迷える羊であった私が見いだされ
見えなかった目が見えるようになったのです


エルヴィスはこの<アメイジング・グレイス>で、コーラスに一歩譲ったような表現に留まっている。

先にあげた「ブルーノート」の傑作『SOMTHIN ELSE』に収録されている<枯葉>のような趣きを感じる。

オールスター揃いぶみのセッションで当時まだ新人だったマイルス・ディビスにいいところを全部任せて、それを受けもって、まだお釣が止まることなく出てくる凄まじさであった、

それに似ている。つまりこの<アメイジング・グレイス>では、マイルスの部分をコーラスが担当しているような感じがするのだ。


最初のパートは、全員で歌い、最も重要な歌詞の部分をエルヴィスは自分を強調せずにソロで歌う。

エルヴィスのソロパート、We've no less days to slng God's praise の”God's praise”は素晴らしい。
エルヴィスはその素晴らしさを静止させたかのようにして、コーラスに譲る。
そして最後のパートはまた全員で歌う。

エルヴィスのソロを受けた3番目のコーラスの部分が”私たちがエルヴィスを守る”と言っているかのように、真摯で、きれいなコーラスを聴かせる。この曲を聴く度に涙してしまう部分だ。

この録音にかける意気込みのようなものがストレートに響く。
ここには仕事を超えたもの、例えば「奇跡」に対峙する意欲のようなもの、あるいは何かを残したいというような意欲、少なくとも願望ではなく意欲を感じるのだ。


恐ろしいほどに途方もなく美しい声だ、

決して力強くないのに、素晴らしく力強いのだ。

人間の声がこんなにも美しいのかと感嘆するしかない。
それを聴かせているのがエルヴィスなのである。


エルヴィス30ナンバー1ヒッツ

ELVIS 30#1 HITS2002年9月25日全世界同時発売

1. Heartbreak Hotel/ハートブレイク・ホテル
2. Don't Be Cruel/冷たくしないで
3. Hound Dog/ハウンド・ドッグ
4. Love Me Tender/ラヴ・ミー・テンダー
5. Too Much/トゥー・マッチ
6. All Shook Up/恋にしびれて
7. Teddy Bear/テディ・ベア
8. Jailhouse Rock/監獄ロック
9. Don't/ドント10. Hard Headed Woman/冷たい女
11. One Night/
ワン・ナイト12. A Fool Such As I/ア・フール・サッチ・アズ・アイ
13. A Big Hunk O' Love/恋の大穴
14. Stuck On You/本命はお前だ
15. It's Now Or Never/イッツ・ナウ・オア・ネヴァー
16. Are You Lonesome Tonight/今夜はひとりかい?
17. Wooden Heart/さらばふるさと18. Surrender/サレンダー19. His Latest Flam! e/マリーは恋人
20. Can't Help Falling In Love/好きにならずにいられない
21. Good Luck Charm/グッド・ラック・チャーム
22. She's Not You/あの娘が君なら
23. Return To Sender/心のとどかぬラヴ・レター
24. Devil In Disguise/悲しき悪魔
25. Crying In The Chapel/クライング・イン・ザ・チャペル

26. In The Ghetto/イン・ザ・ゲットー
27. Suspicious Minds/サスピシャス・マインド
28. The Wonder Of You/ワンダー・オヴ・ユー
29. Burning Love/バーニング・ラヴ
30. Way Down/ウェイ・ダウン

Bonus Song: A Little Less Conversation (Radio edit)/
ア・リトル・レス・カンヴァセーション(ラジオ・エディット)

アメリカの祈り/ AN AMERICAN TRILOGY



アメリカの祈り/ AN AMERICAN TRILOGY

アメリカの祈り>-------それは大きなキャンパスに渾身の思いで描かれた絵画に似て、「アーティスト」へ辿りついたエルヴィス・プレスリーが、人生の困難と格闘しながらも、プロフェッショナルはさらに前に進んでいること、それは類い稀な個性に溢れたものであることを世界中に示した曲である。

アメリカの祈り>は3曲からなるメドレーで、エルヴィス・プレスリー70年代前半のライブでの中心的なレパートリーとして観客はもちろん、リスナーの胸を叩き、打ち、涙を誘った。



あ、綿畑の広がる地に帰りたい
古き良きあの故郷に
見よ、はるか、はるか彼方のディキシーランドを

帰りたい、はるか彼方のディキシー
ディキシーに誓おう
ディキシーで生き、骨を埋めることを

ディキシーランドで私は生まれた
霜のおりたある寒い朝早くに
はるか、はるか彼方のディキシーランド

八レルヤ、栄光あれ
ハレルヤ、栄光あれ
ハレルヤ、栄光あれ
主の真実がやってきた

幼い赤ちゃん、泣くのはおやめ
父さんは死んでいくのだから
でも主よ、これでやっと試練が終わる

ハレルヤ、栄光あれ
主の真実がやってきた
主の真実がやってきた





15億人が見たと言われる全世界同時テレビ中継のハワイ・ライブによって初めて全世界に伝えられたエルヴィス・プレスリーの70年代を代表する名曲<アメリカの祈り>は、アメリカのトラディショナルな3曲『ディキシー』『共和国戦いの讃歌』『私の試練』によって構成された楽曲である。

編曲者はミッキー・ニューベリー。1971年に自身でもレコーディングしている。

1861年のアメリカ、アラバマで国家分裂。
サウスキャロライナ、ミシシッピ、ジョージア、ルイジアナ、フロリダ、アラバマの南部の6州によって新しい国家『南部同盟政府 (C.S.A=THE CONFEDERATE STATE OF AMERICA)』が誕生した。

ジェファソン・デーヴィスを初代大統領に選任、州分権、奴隷制、自由貿易を唱えた民主党政治である。

ジェファソン・デーヴィス大統領就任の式典に歌われたのが、『ディキシー』である。そして南軍戦士を鼓舞する行進曲として使用された。

楽曲は北軍に属することになったオハイオ州のサーカス芸人ダニエル・D・エメットによって1859年にもともとはショウのために作られたもので南部の人々に親しまれていたものであった。ビング・クロスビーがエメットに扮した映画『ディキシー』も製作されている。
戦争にあたっては歌詞を変更し曲調も男性的なものにアレンジされ使用された。戦争終結後は全米で広まった。
エルヴィスは西ドイツ時代にもアメリカ軍が演奏しているのを聴いている。

1861年3月。中央集権、自由主義、保護貿易を唱える北部共和党政権が支配していた連邦政府(U.S.A=UNITED STATES OF AMERICA)の大統領に就任したのは、丸太小屋で生まれたリンカーンだった。

リンカーンは連邦から離脱した南部に属する6州に対して連邦 への復帰をアプローチしたが、回答は4月12日の「砲撃」だった。南北戦争の始まりである。

同年北軍のための軍歌『共和国戦いの讃歌』が書かれた。ワシントンで女性詩人ジュリア・ウォード・ハウによって書かれたこの楽曲は、1968年ロバート・ケネディの葬儀に於いて、アンディ・ウィリアムスによって歌われたのはオールドファンには懐かしい記憶である。

さらにテネシー、ノースキャロライナ、ヴァージニア、アーカンソンの4州が連邦から離脱。11州となった『南部同盟政府』との内戦は、いまもってアメリカ歴史上最大である60万人を超える死者を出す悲劇となった。

4州が連邦から離脱したことで、意を決したリンカーンは、北部の急進的な意見を反映させ奴隷制度の廃止を行ったのは戦争中の1863年1月1日だった。南北戦争の原因が「奴隷解放」にあったことが示されたことで、イギリスなどの評価も高まり、大義を抱いた北部軍の志気は一層高まり、勝利に邁進した。

1865年4月に南北戦争は北軍の勝利で終わる。南部から憎悪される象徴となったリンカーンは戦争終結わずか4日後の4月14日に暗殺される。

南北戦争が終わり、アメリカは「大西部時代」に突入する。ほとんどのウェスタン映画の背景となった時代の到来だ。

奴隷達は解放されたものの、財産も職もなく、結局は元の綿花畑に戻っていくしかなかった。北部のボランティアや北軍が駐留し黒人を援助したが、時の経過とともに、ダイナミックな変貌を遂げていく合衆国にあって、彼等も離れて行き、再び南部の空気が黒人たちを圧迫した。

フロンティア精神が輝きを増す一方、南部では南北戦争の敗軍の将が結成した秘密結社『クー・クラックス・クラン』、通称『KKK』が黒人ばかりか、北部の人々を恐怖に陥れた。

『私の試練』は作者不詳の歌い継がれてきたスピリチュアルソングである。パナマの民謡ともいわれ、ハリー・ヴェラフォンテ、ジョーン・バエズも歌っている。短い歌であるが、それだけに人間の思いが重く響いてくる「つぶやき」と言える楽曲である。

大陸横断鉄道が1869年に開通。1877年に蓄音機が発明され、1886年には自由の女神が建造された。産業革命の影響を受けた多くのヨーロッパからの移民が女神を求めるかのように急激に増加する。

その歴史は「与えられるより、自分で創る」に彩られている。批判だけして、行動しないことをよしとしない国民性は、生きる場所を言葉も通じない、風俗習慣も違う、新天地を求めた人々の精神によって培われたものだ。

20世紀になっても、黒人を擁護する大統領を非難したのも南部である。『黒人の魂』など人間は平等だと訴える学者が政府を批判する反面、1930年代まで、黒人を「劣等人種」と決めつける学者、科学者、ジャーナリストなどが全米で続出し、「平等」の思想を抑え込んだ。

エルヴィスはそのような時代に誕生した。

心優しいエルヴィス少年が南部の風と水と太陽を浴びながら、「カラーズ」「ホワイトオンリー」などの看板が溢れている町で育っていった。綿花畑の光景は少年エルヴィスにはどのように映ったのだろうか。
通過するだけの旅行者であっても、南部と呼ばれるエリアには、明らかにL.Aなどの西海岸エリアとはまったく違った空気が流れているのを感じる。

<アメリカの祈り>はまるで司祭のようにステージをとりしきるパフォーマンスを見せる。それはある意味で茶番でもある。しかし南部に生を受け、その五体五感を通じて感じてきた文化、習慣、風俗。その結果アメリカそのものとなったエルヴィスが、終生、口にしなかった試練を黙々と忍び、乗り越えてきた自分に捧げるレクイエムとして、エルヴィスゆえに許されるパフォーマンスである。
そしてそれを見事に証明して、大いなる茶番を荘厳なものにして、なお余りある感動を与えているのは、驚愕であり、「これぞ、プロの真骨頂」を見せる。

それはエルヴィスにとって、とらえきれないほど大きな世界ではなく、エルヴィスが生きた世界であり、聴衆が存在している世界に他ならないからだろう。

アメリカの歴史は常に矛盾と希望の渾沌とともにある。
その困難を克服できないままに、克服できる明日を信じて、自らを尊重するゆえに、個人個人である他者を尊重し、運命共同体として生きる時に生まれる矛盾と希望の渾沌が循環している。エルヴィスの生きざまそのままでもある。
<アメリカの祈り>でのエルヴィスは個人の可能性の大きさを、自らの肉体を使いきり、使い切ってもなお表現できない自然の恵みである人の魂の可能性の雄大さをステージのすべてを極限まで使いきることで、示唆して、眩いばかりの勇気と愛の詩としている。

Oh, I wish i was in the land of cotton
Old times there are not forgotten
Look away, iook away, Iook away, Dixieland

Oh, I wish I was in Dixie away, away
In Dixieland l'll take my stand
To llve and die in Dixie

For Dixieland's where I was born
Early Lord, one frosty morn'
Look away, Iook away, Iook away, Dixieland

Glory glory, hallelujah
Glory glory, hallelujah
Glory glory, ha]Ielujah
His truth is march'n' on

So hush little baby, don't you cry
You know your daddy's bound to die
But all my trials Lord, soon be over

Glory glory, hallelujah
His truth is marchin' on
His truth is marchin' on

バーニング・ラブ BURNING LOVE


バーニング・ラブ
BURNING LOVE

寒いと、温かいものが欲しくなりますよね。
それならコレと今週は真っ赤に燃えてる歌一個どうぞ。
骨までしっかり焼きつくしてくれそうにアツアツです。
この時期、結構、地味めのシングル・カット曲が続いていた



は火の玉のような閃光で輝きながらチャートを駆け昇った。
いまもって熱いので、くれぐれもヤケドしないように、CDの取り扱いには御注意ください。
全能なる神よ
オレは自分の熱が上がっていくのを感じるぜ
高く高く
燃える火がオレの魂までなめつくしてるんだ

女よ、女、女よ
おまえはオレを炎の上でおもちゃにしてやがる
オレの脳みそはメラメラと燃えて
もうどっちに行ったらいいのかも判らない

おまえのキスでオレは高くのぼっていく
聖歌隊が唄う甘い歌のようだぜ
おまえは燃える愛で
オレの明日の空に火を灯す

おお、おお、おお
オレは自分の熱が上るのを感じるんだ
助けてくれ、この体の炎を消しておくれ
このぶんじゃ42.8度はあるだろう
燃えてる、燃えてる、燃えているんだ
冷やすことなんて出来るもんか(イヤー)
このままじゃ煙になっていくしかないけれど
それでもオレはいいんだぜ。
おまえのキスでオレは高くのぼっていく
聖歌隊が唄う甘い歌のようだ
そしておまえは燃えてる愛で
オレの明日の空に火を灯す

それはだんだん近づいて
今や炎はオレの体をなめてるぜ
どうかオレを助けちゃくれないか
オレはどうしょうもなくどんどん溶けていく感じ だ
オレの胸はぶちのめされていて
息をするのもむずかしいんだ

全能なる神よ
オレは世界中を焼きつくしそうだぜ

おまえのキスでオレは高くのぼっていく
聖歌隊の甘い歌のようだ
燃える愛で
オレの明日の空に火を灯す
燃える愛で
ああ、ああ、燃える愛で

オレはまったくほんとに燃えてる愛の塊
ただの燃えてる愛の塊だ
ただの燃えてる愛の塊だ
ただの燃えてる愛の塊だ

これはエルヴィスが投げ込んだロックンロールの爆弾。
"Ooh, ooh ooh”吐息が悲鳴のように脳裡に焼き付いて、口からついて出る。
"a hunk a hunk”塊が寄生虫のように、体内で蠢く。

ライブバージョンでは、もっと始末に悪い。
まさしく昇天していこうとする時に、それが勝利者であるかのように、高らかにホーンが響きわたる。
なんということだ。 バーベキューができあがったように高らかに!
ココロがすっかり使い物にならなくなったといって喜んでいる。イカれてる。
こっちはもっとやれって絶叫するしかない。

もうこの男には聖歌隊までもが悪魔に魅入られているようにしか聞こえない。
魂がガンガン燃えている。身体と心がひとつになって、男は熱い塊になってひたすら向かって行く。
誰も全能の神にはなれない。セックスだけが身も心も忘れて力を与えてくれる
だからひたすら突入していくことを歓喜している。

ロックンロールの最大の使命は「戦争はゴメンだ!」ということでも、「手をつなごう」でもない。
ひたすら子供のように自分自身を自由にすることだ。そしてそれこそがアートだ。

自分という素材を楽しめたら人生は痛快だ。

"Higher and higher”
どんどん舞いがっていく。
まるで凧のようにココロが舞い上がっていく。
この歌はそれを楽しんでいる。

エルヴィスが凧のように空に舞う。
おーい。こんなにオレはこんなに高く舞ってぞ。
呼びかける。"Ooh, ooh ooh”"a hunk a hunk”
自分の殻に閉じこもっている者に聞こえるように何度も呼びかける。
まるで近所の悪ガキのような親しさで。

聞くものは、足を踏みならし、膝を叩く。
やがて"Ooh, ooh ooh”"a hunk a hun”の意味が聴こえてくる。
飛んでみようかと思う。そうだ!飛んでもいいのかも知れないと思う。
自由の香りを嗅ぐ瞬間が訪れる。もしかして全能の神がいるのかもって考える。 そうだ小さい子供時代はいつも自分が中心だった。それがどうだい、いつの間に内なる全能の神はどこかへ行ってしまった。
「おまえのキスで、身も心もぺニス状の塊になってしまうのが、全能の神になる一番の近道だったんだ。」と叫んでいる。
"Ooh, ooh ooh”"Higher and higher”"a hunk a hunk”
くり返すことだと教えてる。もっとやれ!と言ってる。もっとやれと。
そうだ、くり返せば全能の神になれる。

しかし何によってこの男は燃えているのだろう?
生きるために捨てた、捨てなければ生きることができなかった。実は使えたはずの、使わなければいけなかったものゴミにした上で、ゴミが燃えているのだ。
向上心、挑戦する心が燃やされている。あとに残ったのは非生産的な精神しかない。
それを知っていながら、どうしょうもなく突入している。悲しみにさえも、火をつけて燃やしている。
この歌は
悪魔が歌う人間賛歌だ。

扱いかたにはやはり注意が必要だ。
全能の神なんかどこにもいやしない。


だが、ロックンロールの神がいる。

Lord Almighty
l feel my temperature risin'
Higher and higher
It's burning through to my soul

Girl, girl, girl
You gonna set me on fire
My brain is flamin'
l don't know which way to go

You kisses lift me higher
Like the sweet song of a choir
You light my mornin' sky
With burning love

Ooh, ooh ooh
l feel my temperature risin'
Help me unflame me
I must be hundred and nine
Burnin' burnin' burnin'
And nothing can cool me (yeah)
l just might turn into smoke
But fee fine

Cause your kisses lift me higher
Like a sweet song of a choir
And you light my mornin' sky
With burnin' Iove

It's coming closer
The flames are reaching my body
Please won't you help me
l feel like l'm slipping away
It's hard to breathe
My chest is a-heavin'

Lord Almighty
l'm burnin' the whole world away

Cause your kisses lift me higher
Like the sweet song of a choir
You light mv mornin' sky
With burn'n' love
With burnin' Iove
Aah aah burnin' Iove

l'm just a hunk, a hunk of burnin' Iove
Just a hunk a hunk of burnin' Iove
Just a hunk a hunk of burnin' Iove
Just a hunk a hunk of burnin' Iove




エルヴィス・イン・ニューヨーク


エルヴィス・イン・ニューヨーク
ELVIS /AN AFTERNOON IN THE GARDEN



エルヴィス・イン・ニューヨーク~40周年記念エディション(DVD付)




1956年以来だ。アメリカを代表するアーティストがニューヨークで演奏するのはなんと16年ぶりだ。
ロック史上にその名を残すパワフルなバンド。クリーデンス・クリアウオーター・リヴァイヴァルの<プラウド・メアリー>をエルヴィスが歌っているのは嬉しい。

C.C.Rはサンフランシスコを本拠地に活動したバンドだが、当時のシスコはサイケのメッカ。あえてメンフィス・サウンドをアイデンティティにして活躍したバンドだ。

ここでのエルヴィスは彼等の思いを最良の形にして熱唱している。

1956年、エルヴィスは嵐のような熱狂と批判の狭間で次々とニューヨークのテレビカメラの前に立った。

テレビ局はどう扱えばいいのか混乱していた。その混乱はエルヴィスにメンフィスの月を思い起こさせた。
「帰ってこいよ」とそう聞こえたのだろう。以来16年の歳月が流れていた。


ELVIS /AN AFTERNOON IN THE GARDEN

Introduction: Also Sprach Zarathustra - (theme from 2001: A Space Odyssey) 
2. That's All Right 
3. Proud Mary 
4. Never Been To Spain 
5. You Don't Have To Say You Love Me 
6. Until It's Time For You To Go 
7. You've Lost That Lovin' Feelin' 
8. Polk Salad Annie 
9. Love Me 
10. All Shook Up 
11. Heartbreak Hotel 
12. Teddy Bear, (Let Me Be Your) / Don't Be Cruel 
13. Love Me Tender 
14. Blue Suede Shoes 
15. Reconsider Baby 
16. Hound Dog 
17. I'll Remember You 
18. Suspicious Minds 
19. Introductions By Elvis 
20. For The Good Times 
21. American Trilogy, An 
22. Funny How Time Slips Away 
23. I Can't Stop Loving You 
24. Can't Help Falling In Love


1972年6月9日から11日にかけて4回行われたエルヴィス伝説のN.Yマディソン・スクエア・ガーデン・ライブ。無料招待なしのためボブ・ディラン、ジョン・レノンらも観客として入場。マスコミ各紙が絶賛したパワフルなものだ。その音源が6月10日夜8時の模様を収録した<AS RECORDED AT MADISON SQUARE GARDEN>。同じく昼2時30分の模様を収録したのがこの<AN AFTERNOON IN THE GARDEN>だ。

<AS RECORDED AT MADISON SQUARE GARDEN>は公演1週間後にリリース、またたくまにベストセラーとなり、ダブル・プラチナに認定された。どのライブよりもスピード感にあふれ激しく攻撃的で魅力的なアルバムだ。


一方<AN AFTERNOON IN THE GARDEN>は20年後のリリースだ。2枚の違いは何かといえば曲目が違うこともあるが、緊張感が違う。圧倒的に<AS RECORDED AT MADISON SQUARE GARDEN>の方が優っている。


しかしこのアルバムには「ギュッとしたい」何かがある。不思議な感覚に陥るほどに怠惰と渾身の力で歌うエルヴィスが一つの曲の中で交差している。

<AS RECORDED AT MADISON SQUARE GARDEN>が熱情に満ちているとしたら、こちらは冷酷な迄に醒めているように聴こえる。


どんな形かは別にしてロックンロールはエルヴィスがいなくてもいつか誕生しただろう。しかし実際にはエルヴィスによって生まれたロックンロールはエルヴィスだけのものだ。


あくまで個人的な情念と才能から生まれた産物だ。多くのミュージシャンがロックに群れをなして『ロックンロール』はカテゴリーになった。

そのためにエルヴィスの楽曲そのものの意味も価値も曖昧になってしまったばかりか、時にはその存在の意義も曖昧になる。エルヴィスが創造したのは黒人のように歌うことではなく、(個人的に)「皮膚の色なんてどうでもいいことにしてしまった」ことだ。

世界はエルヴィスの個人的な世界に熱狂し拍手を送り、一方では怒り狂いレコードは焼かれた。

この<AN AFTERNOON IN THE GARDEN>には個人的なエルヴィスがまるで手のつけられない野獣のように動いている。


優雅に、無気味に、だらしなく、華麗に。その視線は1956年のニューヨークに向けられ、ニューヨークの街を散歩した21才の自分にむけられている。そんな気がするパフォーマンスなのです。

2014年4月10日木曜日

別離の歌 /Separate Ways




別離の歌 /Separate Ways


二人の人生に変化が訪れた
もう昔とは違うんだ
手遅れじゃないさ、過ちに気づくのに
僕らは上手くいかないんだ
愛は去り、二人はただの友人のよう
まるで他人のような気もするよ
僕らに残されたものは思い出だけ
愛し合っていたと錯覚していたあの頃の

* どうしようもないんだ、別々の道を行く以外
落としていったかけらを拾い集めながら
そしてきっといつかどこかで
新しい愛にめぐり逢うだろう

* いつか娘が成長すれば分かるはず
なぜ自分の両親が離婚をしたのかと
さよならを告げる時のあの娘の涙に
僕の心は永遠に傷ついたまま

* くり返し(ハミング)
             
                (歌詞翻訳:川越由佳氏)
  
  
別離の歌に聴く、
別れてもさめない恋に潜む愛。





<別離の歌>が使用されるドキュメント映画「エルヴィス・オン・ツアー」のシーンでは、エルヴィスの孤独感がシネラマの大画面いっぱいに炸裂して強烈なインパクトがありました。

映画では、エルヴィスの乗った専用機が寒々しい空港を離陸していく場面に<別離の歌>が重なります。
  
<別離の歌>は、この光景とエルヴィスの離婚が重なった上に、エルヴィス自身とあまりにも似通った歌詞ゆえに告白的な歌として聴かれがちです。

でも、まったくそういうことを意識せずにみてもエルヴィスの哀愁が残酷なほど画面いっぱいに漂っています。
エルヴィスは笑っているので、やはり勝手な思い込みでしかないのですが。

誰でもそうですが、個人に何が起こっていても、淡々と世界は動いています。

生きていくためには世の動きにあわさざるを得ないのは誰でも同じ。
エルヴィスは普通人以上に、何万、何十万の人が待っているからこそ、心と身体がどんな状態であれ、自分をあるべき場所に移動させます。

その痛みが切ない場面なのです。

♪ どうしようもないんだ、別々の道を行く以外
落としていったかけらを拾い集めながら
そしてきっといつかどこかで
新しい愛にめぐり逢うだろう ♪♪♪♪♪♪

  
観客の心をえぐるような無常観を黒塗りの車と空港のもやに封じ込めたままにして、エルヴィス専用飛行機「リサ・マリー」は離陸します。
  
観客は心臓の音がする血の通った男の身体と心が乗っていることを知っています。
 
飛行機は観客の不安を置き去りにして飛び立っていくのです。

編集されたフィルムは、ウエットになった心にかまうことなく、ファンの熱い出迎えの様子を映し出します。
しかし地方都市のせいなのかエルヴィスもファンもなぜか寂しく見えます。
  
やがてノリノリの<ブラウド・メアリー>に変わっていきます。
  
どんなにワイルドなパフォーマンスをみせても、観客の不安は何も解決していないのです。なぜか愛ピには胸騒ぎは続きました。
しかし熱唱がすべてを置き去りにしてしまいます。
  
ボクたち観客もまるでエルヴィスのように、一番大切なことを置き去りにしたまま歌うエルヴィスに夢中になります。
  
エルヴィスはまるでシネラマの大画面を見ている観客のように、一番大切なことを置き去りにしたまま歌います。
「エルヴィス・オン・ステージ」が活気に満ちた記録映画であるのに対して「エルヴィス・オン・ツアー」には不安な空気が満ちています。
ビートルズの映画「レット・イッツ・ビー」が破壊の空気に満ちているのどこか似ています。
それが集約されたのが<別離の歌>のシーンでないかと思います。




  


エルヴィス・プレスリーは並外れた心象風景を表現します。
  
それだけ感受性が強いのです。強い分だけ傷つきますし、当然ながら一般社会や苛酷な芸能社会では苦しみます。
  
皮肉なことに、苛酷な芸能あるいはアートの世界で頂点に立つには、特別に桁外れの感受性が必要です。
  

それでも、エルヴィスの感受性の大きさ、深さに共感し、受容され、癒される人もいれば、なんとも思わない人もいます。
 
人間はみな同じようでも、随分違います。
堅実な乗用車、トラック、スポーツカーのように人は違います。
 
違う分だけ共感する量も質も違います。
先にあげた空港のシーンも人によって解釈が違うでしょう。

たいていの人は自分のことを知っている、分かっていると思っているけれど、本当のところそうではないですよね、
自分が意識できる自分なんてせいぜい全体の2~3%程度で、氷山の一角でしかない。
意識の大半は海の中にあるようなものですから、よく分からないわけですよね。
  
他人以上に自分のことが分からないことも少なくありません。
自分を知ったり、わかったりするためには他人が必要です。
自分以外の人と分かちあい、共感してもらえることで、自分が分かっていくんですよね。
心ひらいてつきあえる人と、話していると、ああ自分はこんなことが楽しいんだ。
こういう人が好きなんだってわかります。
  
ですから意識はしていなくても、他人と話していると、
自分の知らない自分発見ツアーみたいなものですから楽しいのです。

同じようなことが、音楽を聴いていても起こります。
自分はこういう感じが好きなのだ。って思うとき・・・・たとえば<約束の地>のノリノリ一体感、<愛しているのに>の泣いてはいても明るい清々しさ。それらに共感している自分を発見します。
  
なぜおまえはそれがいいの?
問いかけしてみると、意外なことに出くわします。
好きでもないことに一生懸命になっていたり、好きなことを避けていたり、
そうすると、自分が本当はなにが好きなのか、
どうしたいのかがおぼろ気にみえてきたりします。
そういう状態のときに「おまえはこうだったんじゃないのか?」と、エルヴィスが聞いてくれるわけです。

ですからエルヴィスを聴いて、もう一度人生をやり直してみようと思った人は、エルヴィスの歌に自分を発見したのだと思います。
すごく悩んでいたりして、もう気が変になるくらいの時に、いままでエルヴィスに全然関心もなかった人が、ラジオかテレビでたまたまエルヴィスを聴いて、八ツと我に返るというのは、エルヴィスから発信される何かがもともと自分のなかにあったんですよ。
それにスイッチが入るわけです。

  なんて素晴らしい瞬間!
  そう思いませんか?
 
そう考えると自分に自信がないなんて戯言でしかないでしょう。
自分の知らない自分が山ほどいるわけですからか、どんどん知らない自分に出会わないと面白くないですよ。
  
だから、積極的にまだ触れたことのない音楽に触れてみるほうがいいです。
エルヴィスの大きな魅力のひとつに、声の強さがあります。
エルヴィスの声も強さが黒人的であった要因のひとつです。
それは時には意志の強さのよう、
時には怒りの大きさのよう、
時には信念の確かさのよう、
時に愛情の深さのよう、
時にはよしよしのうなずきの大きさのようです。

お母さんが幼子にささやく「よしよし」は、おまえはいい子だよの意味です。
人はただそこにいるだけで価値のある生きものということですよね。
悲しいね。うれしいね。おいしいね。楽しいね。とてもシンプルだけど力のあることばたちは、やさしい音色をしています。

たった1秒のよしよしのことばは、やさしく強く、永遠の応援になります。
共感し、受容する。これが愛の基本です。
戦争や競争はこれとまったく反対のことをしているわけですよね。

エルヴィス・プレスリーの最大の魅力は共感と受容が声のひとつひとつに入り込んでいることです。強い声がやさしい声と複雑に絡むとき共感と受容の確かさのように聴こえるような気がします。「よしよし」という美しい日本語とエルヴィスの声が同じ性質のものだと感じるのです。

<別離の歌>・・・共感することがなくなり、受容もできなくなると、互いの関係は色あせ、応援できなくなります。
  
そんなときに別離は急速にやってきます。
自分を見つけることができずにエールさえ送れない関係はつらいものです。
  
しかし別れることが共感することであり、受容することであり、応援になることもあります。

<別離の歌>・・・そこに漂う「よしよし」がボクは好きです。


  前作に収録しきれなかった名曲を中心に構成した、バラード・ベスト・コレ
  クションの第2弾。繊細なナンバーからダイナミックなものまで、独特な深
  みのある声が最大限に活かされた内容だ。(アマゾン評)
  

2011年5月20日金曜日

オールウエイズ・オン・マイ・マインド



オールウエイズ・オン・マイ・マインド Always On My Mind

エルヴィス・プレスリーの70年代を代表するバラードのひとつ。名曲「別離の歌」のB面として紹介されたしっとりした作品。

「想い出のパラ」のジョニー・クリストファ一と、シンガーでもあるウェイン・カーソン、それに「ムーディ・ブルー」、「サスピシャス・マインド」のマーク・ジエームスが70年に共作した楽曲。『ミス・ダイナマイト』と呼ばれて、日本でも人気の高かったブレンダ・リーが、カントリー・チャートで45位までランク・アップさせた曲でもある。

エルヴィスはブレンダよりも先にライターたちから直接この楽曲を受けとっており、推薦を受けていた。エルヴィスの方が早く、1972年3月29日に録音したが、実際にリリースされたのは1972年11月でプレンダよりも後になった。エルヴィス定番の両A面扱いだが、実際にはいまでは死語となった「B面」だった。それでもカントリー・チャートで1 6位を記録して、ブレンダ盤を追い越した。


1972年のエルヴィスの活動は少し込み入っている。全米ツアーをドキュメントした映画「エルヴィス・オン・ツアー」がヒットしているが、実際の行動はニューヨーク・ライブ、翌年2月の世界初の宇宙生中継の準備と多忙な年で、その一方でナンバー1ヒット<バーニング・ラブ>も飛ばしていて、リリースと活動に微妙なずれが生じている。リリースされたものを月日順に追いかけていると、エルヴィスの行動が分らなくなってくる。

それにしてもエルヴィスがこの曲を推薦され、取り上げたのももっともだと納得できる出来栄えのいいバラードに仕上がっている。その後も多くのシンガーによってカヴァーされ、リバイバル・ヒットを放っている。
カントリー・ミュージック・アソシエイション(CMA) は1982年と83年に、この作品を、ソング・オブ・ザ・イヤー" に選出した。

アメリカの酒場では、日本同様にカラオケが人気で、客が感情をこめて歌う光景は日常的だ。この曲は、つらい思い出を持った人々にはまさにツボにはまった楽曲だ。

因みに自分は15年続いているアメリカの恋人とギクシャクしたときに、メールの最初の”Always On My Mind”と書いて急場を凌いだ。人生もう一度だけ、今度はエルヴィス並に心をこめてダイレクトに伝えたい。

2010年6月12日土曜日

エルヴィス・プレスリーの自家用機 リサ・マリー



エルヴィス・プレスリーの自家用機「リサ・マリー」、リサ・マリーはたったひとりのこどもの名前。1972年、この年エルヴィスは妻プリシラと別れた。